ツタンカーメンはどんな人で何をしたのか

ツタンカーメン(Tutankhamun、紀元前1341年頃 - 紀元前1323年頃)は古代エジプトの新王国時代の第18王朝末期のファラオ(王)だった。およそ19歳で亡くなり、在位期間は僅かに九年程だった。ツタンカーメンは現代で最も良く知られたエジプトのファラオの一人で、これは彼の墓が非常に良く保存されていて遺物の数々が略奪されてなかったためである。
年表:生涯の主な出来事
- 紀元前1341年頃
- 古代エジプトのテーベで第18王朝の家系に生まれた。
- 紀元前1332年頃
- 8歳か9歳でファラオとなり、同時期にアンケセナーメンと結婚した。
- 紀元前1332年頃から1323年頃まで
- ファラオの在位期間の約9年に亘って古代エジプトを治めた。
- 紀元前1323年頃
- 16歳から19歳の間に亡くなり、王家の谷に埋葬された。
参考サイト
サイト:ホームページやSNS
- Tomb of Tutankhamun(Ministry of Tourism and Antiquities)
ツタンカーメンは治世4年で宰相のアイと将軍ホルエムヘブの主導の下、アテン神という一神教の信仰を廃して伝統的なアメン神という多神教への信仰を復活し、自身の名前も誕生時の名だったツタンカーテン(トゥトアンクアテン:アテン神の生ける似姿)からツタンカーメン(トゥトアンクアメン:アメン神の生ける似姿)に改めた。そして首都をアケトアテン(テル・エル・アマルナ)からメンフィスに移した。アメン神の復活により、以前のアテン神への急激な宗教改革や疫病から混乱していた世の中に平穏が齎されたと考えられている。
ツタンカーメンは約19歳で、この世を去り、治世期間は十年程と短かったものの、エジプトにとってアマルナ時代――先々代のアメンヘテプ4世/アクエンアテンによって首都がテル・エル・アマルナに置かれて最盛期を迎えたアテン信仰による統治期間――の終焉を導いた重要な転換期としてエジプトの歴史において特筆すべきものとなっている。
1922年にエジプト考古学者のハワードカーターによってツタンカーメンの墓が発掘されるとエジプトで最も重要な考古学的発見となった。何よりも未盗掘で、金、銀、宝石、その他の埋葬品の数々で満たされていることが分かったためで、「世紀の発見」として世界的なセンセーションを巻き起こしさえもした。
かくてツタンカーメンは古代エジプトの最も有名なファラオの一人となり、屡々、「黄金の王」とも呼ばれ、彼の墓はエジプト文明の豊かさと偉大さの象徴と見做なされている。
コメント